アスペルガー❤️日記

ASDでもADHDでも、ハッピーに生きることをあきらめない

【経験者が語る】実際に自力で障害年金2級を申請して取得できた方法

 

障害年金申請できる可能性を調べてみた

障害年金の申請ができるかもしれないと知ったのは2021年の夏だった。

 

当時は傷病手当金の受給が終了したのち、どうしたらいいのかがわからず悩んでいた。コロナがまだ猛威を奮っていたし、体調からすると、すぐに就業するというのは現実的ではないように思えた。

 

ネットで調べたところ、障害年金社会保険労務士が取り扱っているということがわかった。その業者の多くが2〜3ヶ月の成功報酬制をとっており、「自力申請で不支給になった人もプロの社労士に依頼することで、申請が通った」という依頼者の声がのせられているものが多くあった。傷病手当金の申請時に手続きに戸惑った経験があったので、障害年金については、社労士に依頼しようと考え、何箇所かに問い合わせをした。

 

何人かの社労士に相談してみるものの、多くから「取れて3級相当だろう」と言われた。あるところでは、「最初に病院に行った日から、数年間働けたのなら、申請自体できないだろう」とか「他にもっと重症で困っている人の申請だけで手一杯」「このくらいならご自分でできますよ」とやんわりと断られることもあった。

 

『病歴・就労状況申立書』を書き出してみる

 

社労士に依頼できないのなら、自分でやるしかない。と考え、とりあえず一番大変な「病歴・就労状況等申立書」をぼちぼち書いていくことにした。

精神疾患が生来なものであるということを申し立てるために、自分が出生してからの出来事、困ったことなどを数年毎に区切って書いていく。

 

「出生時からの状況」というとすごく大変な作業に聞こえるかもしれない。

もちろん、生後すぐの記憶などはないが、幼稚園に通い始めてからの記憶は朧げにある。いや朧げ(おぼろげ)どころか、自分が幼稚園に行きたくなくて毎朝園の前で大泣きし、幼稚園へひきづられていったこと。お弁当の時間、帰りたくて仕方がなかったことなど、鮮明に覚えている。小学校へ上がってからも、しょっちゅう忘れ物をしたり、異様にある運動種目が不得手だったことなど、次から次へと思い出されてくる。

 

社会人になって家を出るとき、母が小学校の時からの通信簿や保健簿などまとめていたものを渡してくれていた。それには、学期毎の「先生からご家庭へ」のメッセージなども書かれている。先生からのコメントをまとめて読んでみると、何だか不器用な子供がありありと胸に浮かび上がるのだった。

 

ーーー

子どもの頃、他の子達がすごく羨ましかった。ずっとそれは家庭環境のせいだと思っていた。学校生活に馴染めなかったのは引越しや転校が多いためだと。でもそうではなかったんだ。子供の時の生きづらさ、周囲からの浮いた感じというのは、自分のなかから出て来ていたんだ・・・

ーーー

 

学生時代や社会人になってからも、どのような場面で、何が起こって、自分がどういう状態でいたのか、思い出すことは、確かに大変な作業だった。何日にも分けて書いた。

 

これは他人に頼めるレベルの仕事なのだろうか。ひたすら、思い出し、書き出していく。

面倒な点があるとすれば、それは年号の記述だ。西暦と元号が入り混じってしまう。気がつけば、もう三つの年号を生きている。

 

主治医に診断書を依頼する

 

主治医に障害年金の診断書作成を依頼すると、「もう社会保険事務所へは行きましたか」と聞かれ、社会保険事務所では「主治医には診断書を書いてもらえますか」と確認された。どちらもOKであれば、申請作業に入れるということなのだろう。

 

自分で「病歴・就労状況等申立書」のドラフトができた時点で、自力で申請をしてみることにした。ただ主治医が診断書をどのように書くのかは皆目検討つかない。以前に申請した精神福祉保健手帳は3級相当だった。その時の診断書をよく読んでみると、主治医は診察室での会話や以前うまく話せなかったときに渡した「困りごとメモ」を元に記載していることが理解できた。そうであれば、主治医が診断書を書きやすいようにすればよい。

 

それ以来、診察時には、障害年金の診断書の項目「食事、入浴、清潔保持、金銭管理」などの項目を自分に当てはめて、箇条書きし、手渡すということにした。主治医のカルテには、これまでに手渡した「困りごとメモ」が積み重なっているに違いない。

 

申請の窓口には合計三回の訪問だけだった

 

ラッキーだったのは、申請窓口の担当者がベテランの職員だったことだ。「病歴・就労状況等申立書」の体裁をさらに見やすいものに変えるよう、アドバイスしてくれた。また自ら用意した「社会的治癒の申立書」についても、「最初から申し立てを出しておく方が審査の際に良い」ということで、自分の主張が通り易くなるようにしてくれた。

 

障害年金の申請手続きには初診日や認定日などいくつかのキーとなる日付がある。事後重症による請求だったが、自分に不利にならないような請求ができた。マイナンバーカードも手続き書類の簡略化に若干役立っていたようだ。

 

約三ヶ月後、届いた結果は2級だった。仕事を辞めてから一番大きな成果だった。

まさか自分が40代で「年金」を受け取ることになるとは、想像もしていなかった。

無論期限は有限ではあるが、生活の不安がかなり軽減されるのは間違いない。

 

ーーーー

(結論)自力で障害年金申請できるか

振り返ってみて、障害年金の申請はやはり簡単とは言えない。

 

多くの必要書類、申し立てを書くための文章力も必要だ。

しかしだからといって「プロでなければ、申請は通らない」というのも違う。

話してきたプロの中で「2級」の可能性を示唆した社労士はいなかったし、精神科医の診断書は、究極的には患者の話がソースなのだから。

 

チェック✔️ 障害年金は自力で申請してもよい。十分に準備ができるならば。

 

関連記事:

as-diary.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プライバシーポリシー お問い合わせ